2017年1月 諏訪湖・尖石遺跡(後編)

茅野市街地からさらに東へ。ここはもう八ヶ岳山麓と呼んで良い、私が好きな高原の景色である。
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10時頃、茅野市尖石縄文考古館に到着。
尖石(とがりいし)遺跡は縄文時代中期の集落遺跡であり、ここと周辺の遺跡群から大量の土器が発掘された。
その遺跡近くに建つ縄文考古館では土器を中心に、縄文時代の遺物を展示している。
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入り口近くでは諏訪湖周辺のディオラマと遺跡の分布が展示されている。上が東。遺跡の時代によって色分けされているが、どの色がどの時代だったか忘れてしまった…。赤色が縄文時代か?
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以前の私は、なぜ縄文人というのは日本全土にこうも広く海の近くから山地にまで住み着いていたのかと不思議だった。現代人の感覚では、便利な土地ほど人が集まって人口密度が高くなり、不便な土地ほど人が居なくなって過疎になる。たいていは海の近く、大河の河口付近の平野部が便利で、山地は田舎と思っていた。だが、今よりずっと人口が少ない縄文時代には海辺にも山地にも集落が分布する。これが不思議だったのだ。

さて縄文式土器である。今回の旅は新しいカメラのテストを兼ねている。屋内の光量でどれだけ撮れるか。
お触り禁止の標識はあるが、撮影は可能。さて。
見よ!このセンスである。
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今でこそ縄文式土器のことは学校でも習うので予備知識はある。しかし先史時代の研究が始まり発掘調査が始まった頃にこれを初めて見た人はたまげただろう。芸術家も腰を抜かしたはずだ。完全にアートである。

そして土偶。尖石遺跡の国宝2体。
こちらは仮面の女神と名付けられている。
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こちらは縄文のビーナスと呼ばれる。
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縄文のビーナスの特筆すべきは、損傷の無い状態で出土したことである。
土偶はほぼ全てが腕や脚など、どこかが人為的に壊された状態で出土する。おそらく何か宗教的な意味があり、怪我や病気の快癒を祈願して、などの説がある。
土偶については謎が多い。まず鍋や鉢のように実用品でない。となれば宗教的な祭具だろう。どのような宗教的意味を持っていたのか。
土偶は1万年近い縄文時代のほぼ全時代、日本列島全土で作られており、どれも女性をかたどったものであるのだが、リアルな人間に似せたものは無い。これほどの造形力を持っていたのだから、やろうと思えばもっと人間に似せられただろうに。ひょっとしたら人間ではなく精霊の類なのかもしれない。
そしてほぼ全てが壊されている。
これほどの広範囲で長期間続いていた信仰とはいったい何なのか。ほんの数百年でも元の意味が忘れられ、他のものに取って代わられ、消えていく文化や風習などいくらでもあるというのに。

石器時代、縄文時代の展示としては定番の黒曜石。金属器の発明まで得物の最高の材料である。霧ヶ峰の辺りに本州最大の原産地があったようだ。
これも交易によってあちこちに運ばれる。
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縄文考古館を出て少し歩くと竪穴式住居を再現した集落があるのだが…。
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はて、竪穴式住居という割にはあまり掘り下げていないようだが。
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再現集落と反対方向に歩くと、尖石遺跡の名前の由来となった、「とがりいしさま」がある。
遺跡が見つかる前からこの地方で信仰されていたようだ。
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しかしなんだね、諏訪湖周辺のこの地方では信仰対象の四隅に柱を建てるのが慣わしなのだろうか。
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その後、縄文考古館に戻り、受付付近の売店で『縄文時代史』なる本を買った。博物館や資料館を訪れた際にはしばしば本を買って、しばらくは通勤電車の暇潰しとしている。
ここ半年ほどであちこちの遺跡を巡り、本など読んで、ちょっとずつ分かってきたことがある。海辺にも山地にも人々が住んでいた理由だ。よく考えれば分かることだった。逆に言えば、考えなければ分からなかった。中学高校では習わないから。
それはおそらく最も原初の経済学ではなかろうか。それは、人が生きるのに必要なものをどうやって手に入れるか、それを支配する諸法則である。
鹿や猪を狩りドングリや山菜を採って生活する縄文人にとって、人が一人生きるのに広い森が要る。たくさんの人が生きるにはもっと広い森が要る。狩や採集に出掛けて戻ってこられる範囲にである。だから、どんな便利な土地でも人口密集できない。だから海辺にも山地にも広く住む。
栗など食料を栽培すれば狭い面積でも大量に食料が得られ、集落の人口を増やすことができる。しかし縄文時代後期に気候が寒冷化すると栗が育たなくなり、縄文時代中期に繁栄した集落は衰退する。
弥生時代に稲の水耕栽培が始まると、同じ面積でもさらに多くの食料が得られる。稲の人口扶養能力は地球上のあらゆる作物の中で最強だ。その力で狭い面積に人口が増え都市化する。そしてクニが出来る。
先史時代において経済を支配していたのは環境容量だったのだ。縄文時代では環境容量を超えて生産力を増強すればあっさり資源が枯渇して滅亡する。だから縄文人は現代人のように生産力増強、経済発展のために能力を使わなかった。その分の能力を芸術分野に投下したというわけだ。

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